今後も鬱との闘いは続く話

久しぶりに記事を書いてみようと思った理由は、最近カウンセリングを開始したから。

カウンセリングで話した内容をここでまとめることで、頭の中が整理されて治療も進むのではないかと期待して。

とりあえず前回のセッションでは、自分自身の生産性のなさを嘆いていたタイミングで「死ぬほどのことではないですよ」と言われたことが頭にこびりついている。私はこの言葉で号泣した。なぜだったのかはいまだに言葉で表すことができない。しかし私の核をついたことは間違いないので、このことについてセルフで認知行動療法を行ってみることにした。

 

お題

自分は生きる価値のない人間だ

 

認知

いや、そんなことはない。

ほっとした

死ぬほどのことではないという意見を受け入れることができない自分への驚き

 

認知のゆがみ一覧

・白黒思考

・悲観のエスカレート

・悪い面の拡大

・べき思考

・レッテル貼り

・悲観の増幅

・自分についての認知ばかり

・身体反応やわらげられない

・エネルギー弱く解決まで届かない

・選択肢のパターン化

 

信念

自分は無価値な人間だから、付加価値をつけないと認めてもらえない

 

反論

私だってなりたくてこんなんになったわけではない

私だってハッピーになりたい

 

気づき

価値=お金になっていないか?

対旦那だけの思考になっていないか?

愚痴聞き、しゃべり相手としての価値はあるのではないか?

 

次の課題

どうしてこんなにお金に執着するのか?

 

感想

まず、現在(8/7)は結構元気な法でなんなら躁気味であることを念頭に置きたい。

認知行動療法をやってみて、お金に関しての価値は確かに無いが、そのほかの価値はあるのではないかと思い直した。

そもそも価値ってなんだよ

価値がないからって生きてたらいけないことなんてないだろ

でも私は納得できないのだ

昔は自分が優位に立つため、すごいと思ってもらえるために価値が欲しかった。今はこんな自分でも認めてもらえるように価値が欲しい。どちらも変わらないのか?ただ自分を認めてほしいだけなのか?