書きなぐり

 自分のことが嫌いだと気付いたのはいつ頃だろうか。物心ついた最初の記憶は、小学生の時だと思う。一年生になった私は、学校というものをアニメの世界でしか知らなかった。教室内では生徒がざわざわしていて、先生が来たら誰かが「先生が来たぞー!」と叫んで、みんな一斉に自分の席に着く。こんな感じのことを知っていたんだと思う。

 だから、自分の学校のイメージ通りにした。その瞬間から、私のキャラは確立されてしまったように感じている。しっかり者、音頭をとれる、そして発言が好き。確かに自分は人前に出ることを苦だとは思わなかったし、自分の意見を言うことにも抵抗を感じなかった。しかしその反面、他者からの目線やうわさ話に気が付くことができなかった。いわゆる「空気の読めない」人間だったのだ。

 

 これに気付いたのは小学校も高学年になってからだったように記憶している。私の中では、友達とかグループとか休み時間に誰と過ごすとか、そんな概念がなかった。しかし周りの子供たちは当然のようにグループを作り、仲良しな子たちで集まるようになる。その仕組みを知らない私は、当然のことながら孤立した。

 はじめはお情けで仲間に入れてくれていた子たちも、先述の通り”空気の読めない”私に愛想を尽かし、仲間はずれにするようになった。その時私は、自分以外の子たちが仲良しなのだと思っていた。

 しかし仲間外れはだんだん顕著になり、とうとうあの言葉を言われたのだ。「どうしてこっちに来るの?」あの一言は私にとって雷が落ちたように衝撃的な一言だった。そこまで何となくでしか感じていなかった仲間はずれが、確かなものとして目の前に現れた。そして、自分の周りに建てられた壁に気付くこととなった。

 

 幸いにしてその事件は夏休みの直前に起こった。事件から夏休み開始までの時間にどう過ごしたのかは覚えていない。しかし母親が担任の先生との面談の後、泣きはらした目でこう言ったのを覚えている。「この夏休み、あなたが誰とも遊ばなくても何も言わないからね」

 その事件が起こらずとも、私は学校の時間以外で遊ぶ友達というものがいなかった。今考えれば友達の概念が理解できていなかったのだから仕方のないことに思う。しかし母親からしてみれば、自分の子供が誰とも遊ばず、毎日放課後は家に引きこもっていることがとても不安だったのだろう。何度も外で遊ぶように言われていた。しかし私には”外で遊ぶ”ということが理解できなかった。みんなが公園に集まったりしていることは何となく知っていたが、そこで何が行われているのかは知らない。私は本や漫画の世界に入るのが好きだし、その世界に少しでも長くいたいのに、どうして誰かに会わなきゃいけないの?

 そんな中起こった事件だったので、正直私はラッキーだと感じたように記憶している。だって今まで好きなことしてて起こられていたんだもん、この夏休みは好きなことしてても外に出ろ、友達と遊べなんて言われなくて済むんだ。そう思った。

 

 しかし母親の言葉は覆されることとなる。夏休みも中盤になってくると、毎日ずっと家にいる娘に息が詰まってきたのだろう。母親がたまには外で遊べと言ってきた。私は夏休みの初めに母親が言っていたことを思い出し、「そうだねー」などと軽く返事をした。その言葉に切れた母親が、泣きながら私の背中を殴ってきたのだ。「毎日毎日家にいて、ずっと本を読んで。少しは外に出たらどうなの!」そんなようなことを言われたような気がする。母親は、そのまま泣きながら家を出て行ってしまった。

 私は心底びっくりして、状況を理解することができなかった。え?だってお母さんが家にいても何も言わないって言ったんじゃん。あの言葉は忘れたの?私が邪魔なの?恥ずかしいの?その後母親は買い物の袋を下げて帰ってきた。様子をうかがいながら過ごしていたが、さっきのことには何も触れてこなかった。私も、もう一度言われても外で友達と遊ぶことはできないとわかっていたので、あえて自分から話をすることもしなかった。


 その日を境に、自分の中での自己肯定感が著しく低下していったのを覚えている。時期を同じくして、年子の弟は学校でも仲間が多い人気者、少年野球では4番でキャッチャーという自慢の子供をそのまま映したかのような人間だった。もともとそんな弟がうらやましかったし、両親が弟を自慢に思っていることも感じていた。そして、弟が引きこもりの姉を恥ずかしく思っていることにも気が付いていた。そんな兄弟がいる中、私は誰とも遊べない邪魔な人間なんだということを突き付けられた。そりゃあ自己評価も低くなるに決まっている。

 でも、その悩みや気持ちを打ち明けられる人は誰もいなかった。今になって考えると、本当にかわいそうな子供だと自分で思う。父親はほぼ不在、母親は弟が大好きで私が邪魔、祖父母も母親と同じようなことを言ってくる。私の周りには味方がいなかった。

 そこで私は生まれて初めて”死”というものを意識するようになる。死んでしまえばこんな悩みや恥ずかしさから逃れられるんじゃないかと。そう、そのころの私の中には恥ずかしいという気持ちが強く強く存在していたように思う。周りへの怒りや悲しみではなく、自分が恥ずかしいという感情。自分がすべて間違っていて、周りと違うことをしていて、自分だけが変な子なのだという考えに支配されるようになっていた。


 母親から殴られてから何日もこんな感情に支配されていた。まだ10歳だった私には、当然ながら限界が訪れる。そこで子供だった私は、当時の担任の先生に手紙を書いた。内容を詳しく覚えてはいないが、”毎日家にいて何もしないで過ごしていると死にたくなってしまう”みたいなことを書いたと思う。その手紙をポストに投函し、それだけでなんとなく気持ちが軽くなったことを覚えている。

 それから2,3日後、担任の先生から家に電話がかかってきた。その時間は母親はパート、弟は遊びに出かけていて、私は毎日一人で過ごしている時間だった。先生は手紙を読んだこと、そして明日学校に来るようにと言ってくれた。その電話で何を話したのかは覚えていないが、泣きながら電話をしたことだけは印象に残っている。

 学校に行くと、先生は教室に入れてくれた。誰もいない、何も音がしない教室。そこでジュースをくれたことを鮮明に覚えている。学校でジュースというのがとてつもなく非日常的だったのだろう。そこで先生とはたわいもない話をした。私は、先生に手紙を書いた時点で軽くなっていた心がどんどんふわふわしていくのを感じていた。私だけを教室に入れてくれたこと、ジュースをくれたことが嬉しくて、死にたいという感情が薄れていくのを感じていた。今から考えると、私は私だけを見てくれる大人が欲しかったんだと思う。なんの解決にもならなかったけど、あの時間のおかげで私は夏休みを乗り越えることができたのだ。今でも先生には感謝している。

 


 だれか私を好きになって、私を一番にして。そう思いながら泣いた夜がいくつあっただろう。

 そのころの私は今よりはるかに情緒不安定で、自分が嫌いで、なにより寂しかった。

 20歳を過ぎても彼氏ができず、自分に自信が持てない。にきびがひどくて鏡を見るたびに自分のことが嫌いになっていく。そのころには、幼少期にあった自分への自信や人前に出ることを恐れない気持なんか消えてなくなり、とにかく周りに合わせることを一番の課題として毎日過ごしていた。

 

 そう、かつて空気が読めない子だった私は、見事に空気を読むことだけにすべてのエネルギーを費やす人間へと成長を遂げていた。

 

 このころには自分のおかしさを自覚し、とにかく自分は変な人間、おかしい人間。周りがあっていて、自分は間違っている。周りに合わせることが正解で、自分の主張はするべきじゃない。そう考え毎日周りをきょろきょろしながら過ごしていた。高校生の時代が一番苦しかったが、それについては別で書き出したいと思う。